19『惨劇と不安』



 人を殺さない人は殺人者に対し恐怖を覚える。
 しかし人を殺さない人は、人を殺せないのではない、人を殺した事がないだけだ。

 殺すという行為はその人から全ての時を奪う事だ。
 過去も、現在も、そして未来も。
 そんな行為は口には出せてもなかなか遂げられるものではない。

 しかし人々は知っている。
 一度、殺人を犯せば、もう、一線を越える事など簡単にできるようになる事を。
 その者が口にする死は、全て現実となりうる事を。
 その者が放つ殺気はいつでも具現化しかねない事を。

 だから人々は実際、自分より弱くとも、殺人者に戦慄し、恐怖するのだ。



 大本命であるデュラスを倒し、意気揚々と決闘場の通路を歩いていたカーエスを待っていたのはカルクだった。

「カルク先生!」と、カーエスは満面に笑顔を浮かべてカルクに駆け寄った。
「どないでしたか? 俺の闘い」

 カルクは満足そうな微笑みを浮かべ、ゆっくりと頷いた。

「ああ、よくここまで強くなってくれたな。お前の師として誇りに思う。だが油断はするな。デュラスを倒した事によってお前の評価はグンと上がった。それによって強豪達はこぞってお前に挑戦してくるだろう」
「はい」
「私は用があって、これ以降お前には付き合ってやれないが、たとえ相手がクリン=クランであっても、負けるんじゃないぞ」
「はい! みんないてこましたります!」
「その意気だ。出来る限り身体を休めるのを忘れるな」

 カルクと別れた後、観客席に行こうとしたカーエスはふと参加者控え室に忘れ物をした事を思い出した。そして突き当たりに選手控え室のある廊下に行き着くと、その正面から、誰かが歩いてくるのが見えた。
 参加者かと思って身構え、改めてみると、それは既に体力がかなり落ちていそうな初老の男だった。
 彼は腕輪のない腕を見せると、カーエスに歩み寄ってきた。

「さっきの試合を見ていたよ。なかなか見事だった」
「あ、ども」

 カーエスが応えると、その男は口元に笑みを浮かべて右手を差し出した。

「私はイナス=カラフだ。よろしく」

 何がよろしくなのかがよく分からなかったが、カーエスも右手を出してイナスと握手した。するとイナスは納得が行かないような顔をして手を放した。

「ところで、君は腕や首などに魔力封じの装身具をつけたり、刺青をしたりしている人は見かけなかったか?」

 その質問に、意外だと思ったのだろうか、カーエスは少しばかり当惑を見せた。

「い、いや? 見かけんかったけど……。おっさん何でそんな奴探してんの?」
「私の肉親でね。変な事を聞いて済まなかったな」
「いや、こん位の事で謝らんでも」

 謝られた事にかえって戸惑いながら言うと、イナスは柔らかい笑みを見せた。

「良かった、さっきは聞いただけで物凄く怒られてしまってね。危うく殺されそうになったよ」
「そらそやろな。大会の参加者は大抵血の気の多い奴やし、ましてや決闘前でぴりぴりきとるんや、ホンマに殺されんかっただけラッキーちゅーこっちゃ」
「全くだ。しかし、」
「え?」

 いきなりイナスの様子が変わった。

「あっちはたいして幸運ではなかったようだ」

 その声は、さっきまでの声とは全く違い、冷たい迫力を持っていた。
 そのあまりの様子の変わり方に、呆然としているカーエスに、イナスは元の様子に戻り、ぺこりと御辞儀をすると、立ち尽くす彼の脇をすり抜けて行ってしまった。
 カーエスはイナスが見えなくなるまで見送ると、彼は急いで控え室に走り込んだ。

 そこには惨劇が広がっていた。
 ある者は首を吹っ飛ばされ、ある者は腹に大穴を開けられ、ある者は黒焦げになり、ある者は全身骨が無くなったかのようにグニャグニャになって潰れていた。
 石で出来た室内はおびただしい大量の血によって赤く染め挙げられ、その臭いが部屋中に立ち篭める。
 これをあの体力がかなり落ちていそうな男がやった事なのだろうか。
 にわかには信じ難いが、彼の最後の一言の響きはそれを十分に信じさせるものがあった。

「何モンや……? アイツ」

 そしてイナスの探す、腕や首に魔力封じの装身具をつけた人間、カーエスはそれに該当する人間を一人だけ知っていた。

(フィリー……!)


   *****************************


 ファトルエルの短い昼が終わろうとしていた。まだ高い外壁の向こうに日が沈んだ訳ではないが、街で日の当たっているところはほとんどない。
 この時点で彼は何度か戦闘をこなしていた。
 しかし初めの方は来る敵、来る敵呆れるほど弱い者達ばかりだった。
 昔は屈強な戦士達がまともに砂漠を越えて来たのであろうが、サソリ便のような便利な交通手段が現れた為、参加者の質は大分落ちてしまったのではないだろうか。

 しかし、腐っても闘いの聖地である。
 本気で闘いを極めようとしている者達も少なからずいるようで、その証拠に午後に入ってから時間が経つに連れ、戦闘を挑まれる頻度は少なくなっていったが、それに反比例して相手が強くなって行く。
 特に最後に闘った男などは、もう少しで魔法を使うところだった。
 オウナがリクに持たせた食料は一週間分。
 ということは、この大会は最大で一週間続くと言う意味だ。
 この調子で反比例が続けば一週間後、どれだけ強い人間が自分の前に立ちはだかるのかと思うと、ゾッとするものがあった。

(本当の幸せか……)

 ファトルエルの街の中を歩きながら、そんな事を考えていた。ファルガールにカルク、そしてマーシア。
 カルクは、今、マーシアが感じている辛い思いは、後で感じる幸せをより一層輝かせてくれると言う。
 だが、その幸せとやらは、いつくるのだろう。
 ファルガールは、リクと出会って以来、「“大いなる魔法”から大切な人を守れるようになる事」を目標にしてきた。しかしそれを、この一生の内に果たせるのだろうか。果たさない限り、ファルガールはおそらくマーシアを求める事はないだろう。
 つまり……

(このままだったら、マーシアは輝きを感じられるどころか、小さな幸せ一つ手に入れられない……)

 そう、このままだったら何も変わらない。
 ファルガールが、マーシアが、そしてカルクが本当の幸せを掴む為には何かを変えなければならない。
 それには、三人が一所に集まっているこの大会がチャンスだ。

(ファルは会っちゃいけねーって思ってたマーシアと偶然会ってしまって、どう思ったんだろうな)


 -------君は優しいな。ほとんど他人事なのに、君は真剣に、この事を考え、理解しようとしている。ほとんど初対面のマーシアや、私を本気で心配してくれている。


 不意にカルクの言葉を思い出した時、リクはピタリと歩みを止めた。

(……何で俺はこんな事考えてんだ?)

「おい、ナンパ野郎!」

 聞き覚えのある声に、リクの思考は中断された。声のする方を振り返ると、そこに屋根からカーエスが飛び下りてきた。

「あ、えーとカーエ……じゃない方言野郎」
「わざわざムカつく方に言い直すな!」
「そっちがナンパ野郎なんて言うからだろ」

 カーエスの突っ込みにリクが言い返すと、カーエスはさらに言い返すかわりに両手を勢い良く振り上げ、大きな声を挙げた。

「だーっ! そんなこたどーでもええんや! それよりフィリーや! あんたフィリー見かけんかったか!?」
「み、見てねーよ」

 あまりのカーエスの勢いに、リクは戸惑いながら答えた。そして尋ねる。

「何かあったのか?」

 カーエスは説明しようと口を開けた。しかし、止めて、「何でもあらへんわい!」と、来た方向に走り去っていってしまった。

(どー見ても何でもなくねーだろ)

 訳が分からなかったが、とにかくフィラレスを探して、カーエスと合流させれば事が済むらしい。彼がどこに行ったのか分からなかったが、取り敢えずフィラレスを探して、合流する事に決めた。
 そして歩き出し、何となく道なりに歩いているといきなり大通りに出てしまった。
 しかし大通りの様子がなんだか変だ。
 そしてその原因に気付いたリクはとっさにさっきの路地に駆け込み、建物の影から様子を伺う。
 リクがその原因である人間、光を反射しない漆黒の髪を後ろで小さく束ねている同年代の男に見覚えがあったのだ。
 と、いうより、忘れられない、と言った方が正しい。

(ジルヴァルト……!)

 そう、大会前日式典の後、一睨みでリクを殺しかけたジルヴァルト=ベルセイクだ。
 そしてまた彼はジルヴァルトと対峙しているもう一人の男も知っていた。

 前回の優勝者“真の豪傑”シノン=タークス。

 まだ初日だというのに、カーエスVSデュラス戦に続く大決闘が始まろうとしていた。

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